ごみゼロ活動の広がり:他の市町村では
水俣市訪問記
2010/01/27

理事長 広瀬立成
さる1月19日〜21日の間、第3番目のゼロ・ウェイスト宣言都市「熊本県・水俣市」を訪れ、環境政策とその実施体制を視察してきました。
19日、環境クリーンセンターで、ごみの22分別について説明を受け、その後「資源ごみステーション」で住民の実際のごみ出しを見ました。ステーションは、市内300カ所に設けられ、地区のリサクル推進委員と当番になった住民2〜3人が指導にあたり、資源ごみを持ってきた住民一人ひとりが分別します。月1回開かれるステーションは、地域の話し合いの場ともなっています。また集められた資源ごみは、環境クリーンセンターで処理され業者に売却され、売却益は各地区に助成金として戻されます。

ここでステーションでの作業を見ている間、道の傍らに立てられたいた看板が目にとまりました。「自分たちの生活環境は自分たちで守る」ことを目標とした「地区環境協定」の看板で、現在7地区が協定を結んでいます。協定は、自然環境を守る、ごみを減らす、不法投棄の監視などを実現するために、地区の全世帯が合意し参画します。
20日午前中は、「ゼロ・ウェイストのまちづくり水俣宣言」について、詳しい説明を受けました。
今日、環境先進都市をめざす水俣市の並々ならぬ決意は、水俣病を抜きにしては語れません。1956年に水俣病が公式に確認されて以来、住民、企業(チッソ)、行政は、半世紀にわたり、町を2分する反目、差別、相互不信のうずに巻きこまれてきました。市民は、このような混沌とした社会のなかで、これまで経験したことのない歴史に翻弄されました。水俣市民の素晴らしい点は、このような失敗から逃避するのではなく、正面から向きあい「負の遺産」から教訓を引き出そうとしたことです。

まず1992年、水俣市は「環境モデル都市づくり宣言」を制定し、内外に決意を表明しました。それ以来、1993年にはごみの分別収集、2006〜2008年の産業廃棄物阻止水俣市民会議、2008年からは「ゼロ・ウェイスト円卓会議」などの取り組みを行ない、それを成功させるためにいくつものきめ細かい施策を推進しました。その成果は、2009年11月の「ゼロ・ウェイストのまちづくり水俣宣言」として開花しました。宣言にいたるしくみつくりには、さまざまな工夫が凝らされていて、大変参考になりました。
九州における先進的な取り組みが引き金になり、2010年5月26日〜28日第18回環境自治体会議「ちっご会議」が、福岡県大木町、大川市、筑後市において行なわれます。ゼロ・ウェイストのまちづくりが主題となるこの会議には、私たちのNPO法人も大きな関心を寄せています。理事長・広瀬立成は、本会議のコーディネーターを務めることになり、その打ち合わせを行ないました。

午後からは、リユースびん(Rびん)事業を進めている「田中商店」の視察です。膨大な資源を使う紙パックやペットボトルのリサイクルに代わって、ガラスビンを何回も使うこと(リユース)は、ごみの発生抑制と省エネルギーにつながります。田中商店では、ふつうの使い捨てビンを洗って商品として再使用するするシステムが稼働しており、利益をあげているばかりではなく、地域での雇用の場にもなっています。さらに、「Rびんを広めよう会」という市民団体は、5合びんというサイズで再使用に適したRびんの普及も進めています。
その後、水俣歴史考証館を訪れ、水俣病の歴史をくわしく知ることができました。
もう一つ、忘れてはならないことは、熊本学園大学に「水俣学研究センター」が設立されており、水俣病被害の全容を解明しつつ、地域再構築モデルを研究していることです。センターは、ゼロ・ウェイストのまちづくりにも大きく貢献しています。
水俣市のごみゼロに向けた取り組みからは多くを学びましたが、とくに印象的な点は、市民、行政、企業、大学など異なる立場の人たちが、ゼロ・ウェイストを共有し、その実現に向かって真剣に努力している姿です。これからの持続社会を構築する意気込みを感じながら、水俣を後にしました。
