コラム『ごみは異なもの味なもの』

第1話 - 大事件の発生

2009/06/01  NPO法人理事長 広瀬立成


 本コラムでは、これからしばらく、ごみ問題についてのぼくの見解を、あまり形式にとらわれないで綴らせていただこうと思う。「形式にとらわれない」ということは、はじめから特別の目的のために書くということではなく、ごみについての思いや感想を、ときには喜怒哀楽の情を交えながら、気楽にスケッチしようという意味である。そんなわけで、時には、話題が私的事情に飛び火することもあるだろうし、また、ぼくがこれまでに発表してきた一文を拝借することもあるかもしれない。

 けれども、格式張らない本シリーズには、言葉を変えれば、本音で語ることができるという利点もある。おいおいお話しするが、ごみ問題,もっと広く持続性の本質の一つは「つながり」である。このことを念頭において、このエッセイも,可能なかぎり(ぼくの体力の続くかぎり)途絶えることなく続けていきたいと願っている。

 そんなわけで、まずは肩の力をぬいて、10年前のごみとの出会いの一幕からお話しすることにしよう。


 2000年春の夕方、都立大学の退職を2年後にひかえたぼくに大事件がおこった。近くに住む若い女性3人の訪問をうけたのである。女性の訪問くらい大したことではないのに、と思う向きも多いかもしれない。たしかにその通りではあるが、問題は彼女たちが語る話の中身であった。ぼくは「フムフム」とうなずきながら話に耳を傾けるうちに、ただならぬ雰囲気を察した。

 それまでぼくは、40年近く物理学の研究に携わってきた。

 物理学にもいろいろな分野があるが、ぼくの専門は、物質や宇宙の根源を解明するというもっとも浮世離れした研究分野で、「高エネルギー物理学」とよばれる。最近、若者の理科離れという傾向が進んでいるが、物理学は、実用とは馴染みが薄いために、嫌われ者の代表格になっているようだ。2008年は,3人の物理学者がノーベル賞の栄誉に輝き、多少面目を取りもどしたようだが・・・・・。

 ともあれ、評判の良くない物理学ではあるが、当の本人は、この夢多き世界の探求にこよなく愛着を抱き、日夜研究に没頭してきた。それは、この世の憂さを忘れる至福の一時でもあった。

 その世間知らずのぼくに、彼女たちはつぎのような言葉を投げかけた。

 「近所に、ゴミになったプラスチックの処理施設が計画されていて、近く市の説明会があります。この会合に出席して、科学者としての意見をのべてほしい。いっしょに闘ってほしいんです!」と。

ぼくは戸惑った。