コラム『ごみは異なもの味なもの』

第12話 - ギロチンの露と消えたラボアジエ

2009/09/16  NPO法人理事長 広瀬立成


 熱の原因をめぐって、中世のヨーロッパには二つの対立する見方があった。

 その一つは、ギリシャのアリストテレス以来の熱を物質とみなす考え方、もう一つは、R. ベーコン(英、1214—94)にはじまる熱を運動に関係させる思想である。

 18世紀に入って化学が進歩してくると、燃焼をめぐって、熱を物質的な実体-----これを「フロギストン(熱素)」とよんだ------とみなす思想が勢力を占めるようになった。先にのべたブラックの潜熱や比熱(単位質量[1グラム]の物質を単位の温度[1度]だけ上げるために必要な熱量)の発見も、この熱物質説を裏付けるものであった。燃焼や水の氷結・蒸発において、熱が移動に際して保存されることは、熱物質説から自然に理解できるからである。



ラボアジェ
(出展 Wikipedia)

 「新元素説」「新燃焼説」を提案し、近代化学の建設に端を開いたA. ラボアジエ(仏、1743—94)もこの熱物質説にくみした。

 ラボアジエは、1789年、化学革命を意図した書『化学教科書』を出版したが、この書には、質量不変の原理、元素不滅則とともに33個の元素が記載されている。かれは元素を「今日までに知られている方法で、それ以上他の物質に分解できないものを元素とよぶ」と定義している。33種の元素には、酸素、水素、窒素・・・などとともに、熱素もふくまれていた。

 しかし、この出版の年フランス革命が勃発し、かれは、成り上がり貴族、徴税請負人、火薬監督官としての反人民的な役割を告発された(税務署員は納税者に敬遠され恐れられていたようだ)。1794年5月4日、パリの革命広場のギロチン(断頭台)に、28人の徴税官がつぎつぎにのせられた。4人目がラボアジエであった。

 数学者J. ラグランジュ(仏、1736—1813)は、「この頭を打ち落とすには一瞬でよいが、同じ頭をつくるには、100年以上かかるだろう」とその死を悼んだ。